2011年5月28日土曜日

きのこ

なんか最近食べ物ネタばかりなので
そう思ったかもしれないけれど
今回のきのこはこれ↓


新装なったエンカルナシオン市場です
え?

はい、これ市場の上の部分。
この写真ではみえないけど
展望台などもあります。

メトロポル・パラソルっていう本名があるのですが
誰もが皆セタ、きのこってよびます。

で地上階は市場

もともとエンカルナシオン広場にあった市場を
改装するためにすぐ横に移したのが1973年。
で新しいのを創り始めたのが1990年。
掘り始めたら遺跡がでてきて
その調査でしばし中断。
結局それを保存して
コンペティションで選ばれた
ユルゲン・マイヤーの設計

最初からもちろん侃々諤々
歴史的な地区に
ぜーんぜん似合わない
っていうのは至極ごもっとも

途中予算を大幅にオーバーして
建築を続ける、続けないという話にもなりましたが
その時点でこわすとよけいにお金がかかるということで
結局つくっちゃいました!

これは建築中の写真


4本の柱が空中回廊のように結ばれてる
ま、斬新といえば斬新だけど
意味ない、っていえば意味ない
時間がめっちゃかかりましたが
できてみればけっこう物見高いセビージャっこでけっこうにぎわってます。

で地下には発掘されたローマ時代のタイルなどをそのままにみることができる
博物館になってます


展望台ともども
セビージャ市民は現在入場無料でございます



2011年5月26日木曜日

ポテサラ


じゃ〜ん
昨日のブログでお話ししたポテサラ。
スペイン語ではエンサラディージャ・ルサ、
ロシア風サラダと申します。
wikiによれば
モスクワにあったエルミタージュというレストランではじまったからだそう。
スペインではたいていのバルにありまして
ツナがはいっていたり、
ゆで卵や海老がはいっていたり、
グリンピース(見た目がきれいよん)や人参はいってたり。


この店のは見た目は愛想なしですが
これがうまいんですよ〜〜〜
じゃがいもを海老のゆで汁で茹でて
海老を加えてマヨネーズであえるだけ。
なおこのお店ではマヨネーズじゃなくて
サルサ・フィナという
卵をつかっていないマヨネーズ風のものでつくってるそうです。


夜ともだちに誘われて町にでたら
聖母様の行列。
これは
マリア・アウシリアドーラ聖母さま
扶助の聖母様



この聖母様の前には
サン・フアン・ボスコ
19世紀のイタリアの神父だった
ヨハネ・ボスコの像の御輿も。

日本にもあるサレジオ会の始祖ですね。
この行列もトリアーナにあるサレジオ学校からでているのでありました。

なんかセビージャって毎週のように
聖像の行列があるような。。。

2011年5月24日火曜日

ビールと海老とトマトと


あつっ!

昨日の街頭温度計39度だったそうです。
セビージャは一気に夏。
ってまだ5月なんですけど。

暑さに対抗するにはやっぱ

ビール

近所のグランデという名のセルベセリア
ビール屋さんは1.1ユーロで海老のおつまみつき。
いつも満員。
なんだかんだいって毎日行ってるような。
海老のゆで汁でゆでたじゃがいもをつかった
海老ポテサラもおすすめ。

そして

トマト!


これはまた近所のカサ・ディエゴという
昔ながらのバルでのタパ
トマトのスライスに
にんにくみじんぎりとオリーブオイルたっぷり
お塩をぱらぱら
というこれ以上ないほどシンプルな一皿
これがうまいんですよ〜〜〜〜

実は私、
日本にいるときは生トマト大嫌いで絶対食べなかった
今もできれば食べたくないんだけど
こっちのトマトはうまいっ!

あ、日本のあま〜いトマトとちゃいまっせ
もっとしっかりした青い味
太陽の味
これにミネラルたっぷり海のお塩
オリーブのジュースでありますオイルをかけて食べるのはこたえられない!

これからの季節
かたつむり
いわしの塩焼き(6月からかな〜)
とともに私好みのタパの定番でございます。

ちなみにこのカサ・ディエゴ
かたつむりも上品なお味でおいしゅうございます。
サン・ハシント通りからアルファレリア通りへ入ってすぐ
いつでも地元の人でいっぱい。
魚フライもタパで頼めるしおすすめ〜

2011年5月23日月曜日

デザート三昧


トリアーナのはずれの方の団地の1階
え?こんなとこに?
って驚くようなところに
ちょっと今風でおいしくてお値段もリーズナブルなバール。

観光客が迷い込むようなところではないので
基本的に地元客ばかり
働いてるのは皆若くてきびきびしてて
その昔のオヤジバル(おっさんばっかたまってるような地域密着型バル)が
手作り感いっぱいにでもビストロバル風に改造され
いつも人でいっぱい。

海老のポテトサラダ、エンサラディージャ・デ・ガンバや
チーズにハモンと伝統的なタパもあるけど
やわらかごはん、アロス・メローソの鴨肉添えとか
さくらんぼのガスパチョとか
ちょっと今風な、工夫のあるものがあるんですね。
グルメにおすすめ。

で最後の楽しみはこれ。
デザートのプレート。
パンナコッタやチョコムース、
缶に入っているのはブラウニー、
チョコのハンバーガーとか
これもちょっと工夫してあるので楽しい

女3人で行ったので
お酒2杯ずつ
タパ1つずつにも関わらず
デザートはしっかり一人1個たべたのでありました
で、一人15ユーロちょっと切るくらい。
満足、満足。



2011年5月22日日曜日

フアン・ベルモンテ


トリアーナのアルトサーノ広場の一角に
闘牛士の銅像がある。

フアン・ベルモンテ
1892年セビージャに生まれ
1925年にはタイム誌の表紙を飾り
1962年ウトレーラで自殺した名闘牛士。

フェリア通り生まれの彼の銅像がなぜトリアーナに?

彼の銅像は闘牛場の方をみて
胸にあいた空洞からはヒラルダがみえる。



2011年5月14日土曜日

スペインの地震2

5月11日スペイン東南部ムルシア州のロルカで地震がありました。
セビージャの地震計にも記録されているようですが. 正直、私自身は全く気づきませんでした。 


現地では建物の損傷と余震をおそれ. 人口9万2千人のところ. 1万人以上の人が広場などで夜をあかしました。 スペインは日本に比べるとずっと ...


というようなブログを12日午前中にアップしたのだけど
昨夜からずっとブロックされてたかと思ったbloggerにやっとアクセスできたかと思ったら
この部分が消えていたのでありました (涙)

上記はグーグルの検索でみつけた一節。
これ以外は全部ぶっとんでしまったのでした。


思い出しつつか書き直しますです。
内容が多少変わるのはご容赦。


と書き換えて今みたら、なんと!
戻っているではありませんか。
でも新しい情報も少しあるのでこれはこのままおいときます。
ご存知のように
スペイン南東部ムルシア集内陸の町、ロルカで
5月11日17時05分にM4.5
18時47分にM5.2の
地震がおこりました。
いずれも震源の深さは10kmという直下型。
なおこの後も12日にかけてM2.9が2回、
M3.9、M2.5がそれぞれ1回ずつ、
と余震が続いています。

この地震で9人の方が亡くなりました。
そのうちの一人は1歳と3歳のこどもをつれて歩いていたおかあさんで
こどもをかばって崩れてきた建物の下敷きになりました。
こどもは軽い外傷のみで無事だったそうです。
今日はロルカやその近郊の、亡くなった方の出身地などで
お葬式が行われ、ロルカでのお葬式には
皇太子夫妻や首相も出席しました。
ご冥福をお祈りします。

ロルカの町の8割の建物はなんらかの損傷をうけ
翌日からの検証で
この町の160件以上の建物が崩壊の危機にあり
問題がなく使えるのは調査を受けた建物の半分くらいとか。
家も、家財もなくした人がたくさんいます。

日本の震災に比べると震災自体の規模も被害も小さいですが
何年もかけて築いてきたものが一瞬でなくなる、
というのは同じ。
今日も2千人もの人が野外で眠るとか。
その大半はこの町の主産業である農業に従事する
エクアドルなどからの外国人だそうです。

マグニチュードのわりに被害が拡大したのは
スペインには耐震設計というのがほとんどないということが大きいでしょう。
古い教会も最近の建造物もそれは同じ。
だから滅多にないとはいえ、地震があると
崩壊してしまう建物も多いそうです。

が、スペインの学者によると
この地域で地震がおきるのはなんの不思議もないそうです。
ムルシア、アリカンテ、アルメリア、グラナダ。
スペインの東南部のこの地域は
ユーラシアとアフリカ、ふたつのプレートがぶつかるところであり
それに加えこの近くにはアラマ断層もあり。。。

にも関わらず
地震の備えはまったくというほどありませんでした。
家の保険をつけていない人も3割以上というし。

スペインは日本よりずっと地震が少ないとはいっても
年間2000件以上の地震が記録されているそうです。
そのうち体感地震は月に数回程度ですが
これまでも大きな被害をおこした地震がなかったわけではありません。
その最たるものは839人が亡くなった、
1984年グラナダ、アレナス・デル・レイでの地震。
M5.8だったそうです。
ポルトガルのサン・ビセンテ岬を震源とする、
1531年、1755年におきた地震では
セビージャなどスペインでも多くの被害を受けました。

今回ように多数の死者がでたのは
12人が亡くなった1956年グラナダのアルボローテでの地震以来ですが、
1969年にはウエルバで4人が亡くなっていますし
ムルシア州でも
1999年、2002年、2005年と
 マグニチュード4から5の地震がおきています。

こういったことを考えると
少なくともこれからは
少なくとも東南部では多少コストが上がっても
耐震を考慮した建物が建てられますように、
と願ってやみません。
とくに新しい建物に被害が多かったともききますし。


スペイン政府は地震がおきてすぐに
軍を派遣し食べ物等の配給やテントをはったりし、
また早々に被害者の救済策を発表してます。

毎年夏、ラ・ウニオンへ向かうバスでロルカの町を通っています。
平野の静かな町でした。

一日も早く
通常通りの生活がロルカの町に戻りますように。


2011年5月12日木曜日

スペインの地震

スペインで地震というニュースは日本でもテレビなどでも報道されたようですね。
5月11日、東南部ムルシア州の町、ロルカ
午後5時5分にマグニチュード4.4、
午後6時47分、マグニチュード5.2、
という大きな地震がありました。
震源の深さはいずれも10km。
建物の倒壊などで9人の方が亡くなりました。
セビージャの地震計にも記録されているようですが
正直、私自身は全く気づきませんでした。

現地では建物の損傷と余震をおそれ
人口9万2千人のところ
1万人以上の人が広場などで夜をあかしました。


スペインは日本に比べるとずっと地震が少ない国ですが
地震計では1年に2000件以上の記録があり
体感地震も月に2件はあるそうです。
グラナダ、アルメリア、ムルシア、アリカンテといった東南部に集中していますが
1969年にはウエルバでもM7.3の地震があり4人が亡くなっています。
私も24年のセビージャ暮らしで数度、震度1か2くらいの地震を体験しています。

ポルトガル、サン・ビセンテ岬のあたりを震源とした地震も多く
1356年のリスボン大地震でもセビージャで被害が出、
1755年リスボン大地震ではセビージャでも9人が亡くなり
ヒラルダの塔も損傷があったそうですし
カディスは津波で多大な被害を受けたということです。
1884年にはグラナダのアレナス・デル・レイで
839人の人が亡くなったのが記録に残る最大の被害かもしれません。
2007年にもM6.1の地震がありました。


今回の地震は
1956年にグラナダのアルボロテ
で12人の犠牲者がでて以来の大きな被害だそうですが
1999年には同じムルシア州でM5.2とM5.3の
2002年M4.5の、2005年にM4.7の
地震がおきています。

ユーラシア、アフリカのプレートがぶつかるところで
イベリア半島でもっとも動きの多いアラマ断層があり
学者もこのあたりで地震がおきるのに何の不思議もない。
いつおきるという予想はできないが、
とコメント。


にも関わらず、
こちらの建物は日本のように耐震設計ではありません。
だから被害が広がったのでしょう。
ロルカの町の8割の建物が何らかの損傷をうけているそうです。
早速現地にかけつけラジオの生放送をした国営放送のキャスターは
「爆撃されたベイルートのようだ」と。

軍や警察もかけつけて
避難してきた人たちのためのテントをはったり
食料などを配給したり。
直下型で近くの町にはほとんど被害がありません。

鐘楼が崩れ落ちた教会のように古い建物だけでなく
写真やビデオでみると新しい建物でも
壁の一部が落下したり、建物自体がつぶれたり。

完全な復旧までには時間がかかることでしょうが
建て直すときにはぜひ耐震設計でお願いしたいものです。

そして被害者の方々が一日も早く元通りの生活に戻れますように。

2011年5月7日土曜日


春はお散歩にぴったり
もう少しすると暑くて散歩どころじゃないんだけどね。
写真はセビージャ、マリア・ルイサ公園。
新緑がきれいです。

ええ〜っていうくらい大きな樹があったり


池や小山があったり
バラも満開。
こういうところにいくと樹や花の名前が知りたくなります。

ちなみにこの公園内に考古学博物館と風俗博物館があります。

2011年5月6日金曜日

ご近所レストランで

昨日のお昼は親世代の友達のご招待で
近所のレストランへ。
前菜でシェアした蛤の漁師風はちょっとしょっぱかったけど
二皿目は大正解!

私のメインはアボガドと海老のリゾット。
メニューをみて?となった私は
こりゃ食べるしかないな、と
質問もせずに頼んだのがこれ↓


生クリームたっぷりなリゾットにはアボガドと海老もたっぷり
カロリー高そうだけどおいしいので完食!


友達は鮭の野菜添え
鮭は炭焼きでぱりっ!
それにタルタルソースがめっちゃあうのであります。

デザートもシェア。
みっつのチョコのケーキ
激うま〜


近所にこんなにおいしいとこあるって
すごい幸せかも

2011年5月5日木曜日

フェリア!


ちょうちん


 馬


水玉


フェリア!



 こどももおめかし。


カセータの中ではセビジャーナス三昧



 夜遅くまでにぎわい続けるのでありました