2011年6月12日日曜日

村上春樹 カタルーニャ国際賞受賞スピーチ をスペインから見ると

第23回カタルーニャ国際賞を受賞した村上春樹。
受賞理由は
「その作品が世界の文学界の規範となり、
東洋と西洋の架け橋を築いた」こと。

授賞式前日の記者会見で
「日本に生まれ、暮らしている。
日本語を話し、日本食を食べ,日本人がやること全てをやっている。
でも僕はジャズやドストエフスキーからステファン・キングまで西洋文学が好きだ。
何が東洋で、何が西洋なのだろう?」
と。
*ソースはスペインの日刊紙記事

その授賞式の模様を伝える
ラジオのニュースで彼のスピーチの一節を聴いて
これは全部ぜひ読んでみたいと思ったら
翌日の毎日新聞ウエブに全文が掲載された。
これを読んで泣いた。

正直、熱心な読者ではない。
でもここには震災、そして原発事故後の
多くの日本人の、言葉にできなかった思いが
ここにはこんなにはっきりした形になっている。

書くことを仕事にする、というのはこういうことなのだ。
思いを言葉に変える。
皆の思いに形を与える。
読んだとたんに自分の中にあった
もやもやしたものがはっきりした形となって
うん、私もそう思っていたんだ。
そうそう、そうなんだ、とうなずく。
すごいな。
力だ。

易しい言葉のひとつ、ひとつの後ろにあるもの。
現実を目の前に
変わってきた自分の思考過程を
その上に重ねてみる。

ちなみにビデオもアップされてます。
上の文とは多少、細かいところが違ってるので
お時間あったらぜひご覧下さい。
でもタイトルの
「原発批判」演説
ってのはどうなんだろう。
批判?

あと
「ボナ・ニ・バルセロナ
ミック・ジャガーやレディ・ガガはボナ・ニ・バルセロナ!といってましたが
僕はボナ・ニとだけ言います。小説家なので」
というスピーチの最初の部分がカットされているのはなぜだろう?
ちなみに新聞の両手をあげている写真は
ミック・ジャガーのまねをしている?ところなのに。
そのビデオはこちら
ちなみにこのビデオでは日本語の部分はカットされこの部分だけ
ま、ニュースだし、それは理解できる。
でもノーカットといいながら
この部分省いたのはなんか納得いかない


ところで同時通訳らしく、
出席者が
ヘッドフォンをつけるのだけど
もともともらっていた原稿と
微妙に変わった場合とか同時通訳の人はどう対処するのかな?
最初の、とかは、英語だし?
また前もってもらっていた原稿を
訳したのを読むのも同時通訳というのだろうか?
それも訳すのかな?

ちなみに式次第にこのスピーチ日本語とカタルーニャ語で掲載されていたそうです。


2 件のコメント:

  1. 「思いを言葉に変える。皆の思いに形を与える」
    ホントに今回の村上春樹のスピーチには、きょうこさんが書いておられることを実感しました。素晴らしいの一言に尽きます。

    そして、このブログを読んで、謎が解けました。
    カットされた部分を見てなかったので、別のビデオで村上春樹が「ミックジャガー、オーケー?」と冒頭で言ってるように聞こえるのが不思議でたまらなかったんです。そうか、そんなことを言ってたんですね。

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  2. izumiさん
    村上龍はかなり読んでいるくせに、春樹は少ししか読んでないにも関わらず、今回のスピーチには本当に圧倒されました。ものを書く人というのはこうでなければ!と実感でございます。
    ミック・ジャガーのとこ、いいよね。外国慣れしてる人ならでは?のジョーク。またカタランつかうことで地元の人の心をわしづかみ〜

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